偶然見たテレビのトーク番組で北極に”出会って”しまった荻田さん。出演していた冒険家の大場さんに手紙を書き、ミーティングに参加することに…
荻田:テレビで大場さんを見た頃は、エネルギーの抜け場がわからずに悶々としていて、なんか走りたいのに走れないっていう時でした。
大場さんはエネルギーの使い方を知ってるし、実践してる。凍傷で指を切ろうが、やってるっていうね…。やってるということに、その時の自分にはすごい感じるものがありました。
ここに参加したら、悶々とした、エネルギーだけ抱えていながら何もできていない自分が変わるんじゃないか、そういう期待感があって手紙を出しました。
青木:それでお返事が来て、参加することに。
荻田:アウトドアも何も経験のない中で、北極圏を700キロ歩く旅です。
青木:事前のトレーニングはあったんですか?
荻田:北極圏に行く直前の1月、2月に大場さんの故郷の山形県最上町で、雪の深いところでしたが、1週間を2回、計2週間のトレーニングを行いました。
内容はテントの立て方や、スキーを履いての歩き方、キャンプ用のバーナーの使い方、そういう初歩の初歩です。あとは現地に行って、用意どんっていう感じでした。
青木:その翌年はお一人で…
荻田:はい、翌年の2001年に、今度は1人で行ってみようと思って、そこから1人の旅が始まりました。
青木:どういう感じだったんですか?
荻田:計画を考えて、準備して、自分なりに装備を整えて、アルバイトでお金を作って現地へ行ったんです。ただ、現地へは行ったんですが、 結果的には何もできず、村に1か月ほど滞在して日本に帰ってくるんですけども…
青木:そうなんですか…
荻田:どうせ行ったところで何もできないだろうなというのは分かっていました。でも、じっとしていられなかったというか…
大場さんの旅から戻ったら、また元の生活になってしまっていたんです。変わると思って行ったのに、何も変わってないことに気づいて。
あれ、俺、またバイトして、ガソリンスタンドで窓拭いてるなと思った時に、これからどうすればいいんだろうって。また喪失してしまった感じがありました。
それで今度は1人で行ってみようと。1か所行ける場所はできたから、北極に行ってみようと。他を知らなかったからまた北極に行ったというのが結構強いです。 でも、そうやって1人で行ったところで、北磁極までなんて歩けないだろうなというのはもう99パーセント分かってました。
青木:大場さんのツアーに行かれた時と同じことすれば行けたはずですが…?
荻田:経験もないし、知識もないし…
大場さんの時はすべての装備も準備されていて、段取りがあって、確かに自分たちの足で歩いてるんですが、なんというか、与えられたものを身に着け、大場さんの頭で考えられた計画通りに歩いてゴールに着いてるんです。
青木:なるほど…
荻田:例えば装備にしても、大場さんはスポンサーだったメーカーからウェアや寝袋、テントも提供されていましたが、既製品そのままだと極地では使えないと、大場さんはメーカーに話して、いろいろ細かい改良をしてたわけです。テントにしてもウエアにしても。
青木:それを今度は荻田さんが1から自分で用意するわけですね。
荻田:そうです。大場さんからいくらかお借りしたものはありましたけど、 自分で用意するわけですよ。
前の年にあんなテントだった、この型だったなとか。
それで既製品を用意して持って行ったんですが、現地のマイナス30度、40度の環境では対応できなかった。そこで初めて大場さんが改良した意味が分かるわけです。
青木:あー、なるほど。
荻田:あ、こういうことだったんだ、ということにいっぱい気づくんです。 行って1週間も経たないうちに、今の自分の力と経験じゃ、1人でね、北磁極まで歩くなんて無理だと。
青木:そうなんですね。
荻田:レゾリュートというところに3月の頭に行きましたが、その時期は世界中から、極地の冒険をやる人間が集まっているんです。その中に河野兵市さんという日本人の冒険家がいて、経験もある人なので装備を見せてもらったりもしました。他の国の冒険家の様子も見せてもらいましたが、経験のある人とは、装備の考え方はじめ、もう何から何まで違うことに気づくんです。
青木:パッキング1つのやり方だって違いますよね。
荻田:なぜこの装備を使っているのか。 これはどういう意味があるのか… それを、これはこういうことだから使っているんだと言えるわけですよ。でも、当時の自分は、なんでこのテントを持ってきたのかと問われても、去年も使ったからとしか言えない状態でした。
ういう経験をすると、やはり俺、何にも知らないぞと。1回歩いたけど、何にも知らないし、経験も知識も実力もないぞと。
でも、せっかく来たんだから、お金の続く限り、現地に滞在しようと思って、結果的に1ヶ月いたんです。
その間に他の国の冒険家や河野さんも、みんな、自分の旅に旅立っていくわけですよ。なんか、悔しいな、 俺は送り出すことしかできないなと。来年もう1回帰ってきて、次こそは絶対自分の遠征やってやろうと思いました。
多くの冒険家と交わることで、経験があること/ないことの差を実感した荻田さん。翌年こそは自分の旅をしようと決め、現地で学べることは学ぼうと滞在を続けます。1ヶ月後、帰国。再びアルバイトで資金を作り、翌2002年3月、レゾリュートからグリスフィヨルドまでの500キロの旅に出ます。
荻田:初めての1人旅に出ました。
(インタビュー収録:2023年5月)
ついにた自分の旅を歩き始めた荻田さん。
3回目へ続きます。
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TEXT:木田 正人 Photo 金久保誠