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インタビュー 2023.02.19

TEXT:黒岩 麻衣  PHOTO:木田 正人

都会と山村、両方の生活を経て見つけた“ちょうどいい”暮らし方

高野優海さんのプロフィールを見る

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神奈川県川崎市で生まれ育ち、大学卒業後は都心のベンチャー企業に勤めていた高野さん。現在は地域おこし協力隊として、東京都で島を除くと唯一の村である「檜原村」で暮らしています。都会育ちで、あまり自然との接点がなかったという高野さんは、どのようにして森に辿り着いたのでしょうか。 これまでの経緯や現在の暮らし、これからやりたいことについて、檜原村のご自宅にお邪魔して、薪ストーブを囲みながらお話を伺いました。

黒岩:高野さんはもともと森や自然に興味があったのでしょうか?

高野:森に興味があったというよりは、就職して仕事をするなかで、「人がもっと安心して生きるには何が必要なんだろう?」と考えるようになったことが、自然のある暮らしをはじめたきっかけになっています。

大学を卒業後、都心の人材系ベンチャー企業で働いていた高野さん。学生の就職相談に携わるなかで、多くの学生が「いい企業に入って高い収入を得ないと生きていけない」と不安を抱えている姿を見てきました。

高野:そういった学生に対して、「もっと本質的に安心感を与えられるようなアドバイスがしたい」という想いが湧いてきて。いろいろな場所を巡って人と話したり、本を読んだりして辿り着いたのが、「生きるために必要なものを自分の手でつくり出せるようになれば、そんなにお金を稼がなくても安心して生きていけるんじゃないか?」という考えでした。

そして、まずは自ら自給自足的な暮らしを実践するために、栃木県那須町にある「非電化工房」で1年間の修行生活に飛び込みました。そこで小屋を建てたり、お米や40種類くらいの野菜を育てたり、生活に必要なさまざまなことを経験したそうです。

黒岩:自給自足的な暮らしをするコミュニティはいくつか聞いたことがありますが、どうして非電化工房を選んだのでしょうか?

高野:非電化工房はただ自給自足するだけじゃなくて、つくって売るところまで教えてくれる場所でした。資本主義を否定するのではなく、いまある社会の仕組みと絶妙にバランスをとっていて、それが自分に合っているなって。私はどちらかに偏るのではなく、バランスをとりながら、「架け橋」みたいな存在になれたらいいなと思っているんです。

黒岩:自給自足的な暮らしを実践してみて、どんな変化がありましたか?

高野:「誰もがモノをつくり出す力を持っている」という感覚を持てたのが大きな変化です。それまではお金を払わないと買えないと思っていたものが、意外と自分でもつくれるのだと知りました。
それと同時に、自給自足の大変さも知ることができました。薪のお風呂は沸かすのに1時間くらいかかるし、生活するだけで1日が終わっちゃうんですよ。

家族・友達・文化的娯楽。大事なものを諦めなくていい、ほどよい田舎暮らし

次の移住先を探していた高野さんは、全国の地域おこし協力隊の情報まとめサイト「JOIN」を見て檜原村の募集を知り、2022年3月に那須での生活を終えて8月には檜原村の地域おこし協力隊に着任しました。

黒岩:檜原村でのいまのお仕事についても聞かせてください。

高野:もともとライターをしていた経験を活かし、「ひのはらマガジン」を立ち上げて移住希望者向けに情報発信をしています。ほかにも、任期が終わったあとに檜原村に定住することを目指して、村内全域でいろいろな人のお手伝いをしたり、フリーライターとしても活動しています。

黒岩:都会育ちの高野さんが山村で自給自足生活をして、檜原村に拠点を移して半年ほどですね。ここでの暮らしはいかがですか?

高野:最高ですよ(笑)。檜原村でもうちの辺りは高尾山の山頂くらいの標高にあって、こんなに自然豊かなのに、都心にも日帰りできる距離なんです。自然のある暮らしを大事にしつつ、家族や友達に気軽に会いに行けたり、本屋さんや映画館など自分にとって大切な文化的娯楽にもアクセスしやすいのが気に入っています。

黒岩:確かに、来てみると思ったよりも都内からのアクセスがよくて驚きました。

高野:檜原村にいると山や森の情報に触れることが多いし、森の役割やリラックス効果を体感する機会に恵まれているので、ここに来てから山や森の魅力に気づいて好きになりました。

とある休日には、ご自宅から車で5分くらいの場所にある温泉まで歩いて行ってみたのだとか。「せっかくなら景色の良さそうな道を」と、近くの登山口から尾根へ上がり、約4時間半歩いたそうです。

高野:ちゃんと標識もあって迷わずに行ったんですけどね。でも、そのときに見た景色は最高でした。なんとか明るいうちに温泉に着いて、疲れちゃったので帰りはバスに乗りました(笑)。

黒岩:いまは車で移動できるけど、昔は歩いていただろうし、集落ごとに違う文化が発達するのも納得ですね。

人生の選択肢を増やしてくれた“ユニークな人たち”との出会い

黒岩:みなさんに聞いているんですけど、高野さんは20歳の頃は何をしていましたか?

高野:大学に入ったときは特にやりたいことがなくて、楽しそうなサークルに入って飲んだくれる学生生活を送っていました(笑)。

それまでの「いい成績を取る」「いい大学に入る」という指標がなくなったことで、高野さんは「これまで自分で何も考えずに進んできてしまった」と気づき、そんな自分を変えたいと強く思うようになったそうです。

高野:それから1番辛そうなことをしようと思って、1年間休学して、ベトナムで日本人向けの生活情報誌をつくっている日系企業で広告営業のインターンをしました。

黒岩:どうしてわざわざ辛いことをしようと思ったんですか?

高野:大学で何人か憧れの先輩ができたんですけど、みんな失敗談とか挫折経験がありました。一方の私は、自分ができそうな範囲でのチャレンジしかしてこなかったから、失敗も挫折もなくて。「この魅力的な先輩たちみたいになるには、失敗と挫折が必要なんだ」という、単純な考えが理由です(笑)。

黒岩:なるほど。ベトナムに行って、変わりましたか?

高野:変わったと思います。でも、挫折して変わったというよりは、ベトナムでユニークな人生を歩んでいる人にたくさん出会ったのが大きいですね。

当時、早稲田大学出身の高野さんの周りでは、「いい大学に入って、いい企業に入る」がメジャーな選択肢であり、それを選択する人がほとんどでした。

高野:私がインターンをしていた企業の代表は、高卒でベトナムで起業しているんですけど、とても魅力的な人でした。そういった人たちと出会ったことで、「社会的なステータスと、人間の魅力や価値は関係がないんだ」と気づきました。

「一度檜原村に来てみたらどうですか?」。暮らしを開き、伝えていく場所をつくりたい

黒岩:いまの高野さんが、漠然とした不安を抱えている20代の人に会ったら、どんなことを伝えたいですか?

高野:どんな生き方をしても大丈夫だし、「こうしなきゃ生きられない」なんてことは絶対にないと心から思っています。人の数だけ生きる道があるし、それが見つかるまで試行錯誤をすればいい。生き方に迷っている人がいたら、「一度檜原村に来てみたらどうですか?」と伝えたいですね。

最後に、高野さんが今後やってみたいことについて聞いてみました。

高野:那須での暮らしを通して、自分の生活に必要なものを100%つくるのは大変すぎると感じた経験があって、最近は自分にとってちょうどいいバランス感の暮らしを見出せていると思っています。いずれは古民家を買って自分で改修しながら、都会の生活しか知らない人たちに「こういう生活もあるよ」と伝えていきたいです。

黒岩:そういう場所ができたら、ぜひ遊びに来たいです!

高野:まだどんな形になるか見えていませんが、私はお酒が好きなので「泊まれるバー」とかもいいなと思っています。外からの人だけじゃなくて、地元の人も来てくれて、いろいろな人が交わるような場所をつくりたいです。


写真2〜4枚目は高野さん提供です

TEXT:黒岩 麻衣  PHOTO:木田 正人

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