東京都心から約2時間、そびえ立つ山々に囲まれた奥多摩町。登山やアウトドア好きで賑わう奥多摩駅の近くに、小1からの大親友と「奥多摩アウトドアステーションやっちゃえ(仮)」という多目的複合施設を始めた戸田泰拓さん。 飛び出してきたのは、まるで映画に出てきそうな生い立ち、生き方。戸田さんが奥多摩で目指す居場所づくりについてお聞きしました。
Uターンした奥多摩で、「俺が居場所になる」
阿部:戸田さん、出身が奥多摩なんですよね。
戸田:奥多摩生まれです。20歳くらいまで暮らしていました。一緒に「奥多摩アウトドアステーションやっちゃえ(仮)」を立ち上げた島崎は、小学校1年生から最初の就職先まで一緒の同級生です。
阿部:戸田さんはそのあと都心の方に行かれたんですね。
戸田:はい、音楽をやるために都心に。数年前、家族で最後に残ったばあちゃんの介護で戻ってきました。
阿部:きっかけは介護だったんですね!
戸田:当時はすぐにまた都心の方に戻ろうと思っていたんですけど、丁度世の中がコロナ渦になって。だったら疎開していようと奥多摩に残ったんです。そんな時、父親が死んで。
阿部:先程、おばあ様が最後に残った家族とおっしゃっていましたが…
戸田:父親というのが、生まれてこの方会ったことも喋ったこともない人なんですよ。子どもの頃は「死んだ」と伝えられていて、本当は生きてると知ったのも小学校高学年の頃でした。でも、そんな父親が死んだとき、直系が自分しかいないということになり、自分が手続きや片付けをしました。
阿部:その話は、深く聞いても大丈夫でしょうか?
戸田:はい。父親は、奥多摩駅の周辺の氷川というところの横丁で、365日飲んでるような人だったみたいで。だから、父親の周りの片付けをする中で、近所に住んでいる人や父親の飲み仲間の人たちと関わるようになりました。そこで、考えが180度ってわけではないですがすごく変わって、この町でコミュニティをつくろうと思いました。
阿部:一体、どんなことが…
戸田:父親とは話したことないし、どんな人かも分かんないけど、死んだあとに町の人に「365日氷川の横丁で飲んでた」と聞いて、どんな奴だよって感じじゃないですか(笑)。でも、その父親が居た居酒屋を訪ねて「死んだ松本のせがれなんです」っていったら、右も左も大喝采じゃないけど、「まっちゃんの!」って。
阿部:すごい、まさかの大盛り上がり!
戸田:泣き出しちゃう人もいて(笑)。どうやら、それなりに好かれてたみたいで。もちろん悪い話も耳には入りましたけど、人柄が良かったのか、愛されてはいたようで。みんなからの人気がすごかった。それで、息子の自分も色んな人にちやほやされてしまって。
半信半疑で訪れた居酒屋で、まさかの大歓迎を受けた戸田さん。それまでは自分を理解してくれ、認め合い、わかりあうことができる人とだけコミュニティを作ることを目指していたそうですが、生前の父の様子を聞くにつれ、考えが変わります。
戸田:父親の件があってからは、むしろ人はわかりあう必要なんてない。最低でもわかってもらう必要はないと思いました。正直最初、父親のコミュニティの人たちの言ってる事がよくわからなかったんです。だって、父親の事も全く知らない中で、やたらアクの強い人が次から次に「まっちゃんはよう!」「まっちゃんはな!」と父親のことについて熱く畳み掛けてくる。ほんと申し訳ないけどよくわかんないですよ。でもね、僕や父親に対して好意を持ってくれてるのはめちゃくちゃはっきりわかる。そんな人たちの好意をよくわかんないからって受け止めないのは違うと思ったんです。
当初は話したこともない父親の知人たちの勢いに戸惑うものの、それを全て丸ごと受け入れることにしたという戸田さん。そうすることで、「父親のことも、自分に関わってくれる人たちのことも、とにかく大好き」になったと話します。
戸田:そういった経緯で、奥多摩の人たちに受け入れてもらえ「もうここで、この町で、居場所をつくればいいじゃん」って。いや「俺が居場所になろう」って思いました。
父親が残したコミュニティを起点に
そんな戸田さんが5月から運営を始めたのが「奥多摩アウトドアステーションやっちゃえ(仮)」。ここは、奥多摩に登山やキャンプ、BBQなどアウトドアを楽しみに来た人たちの居場所、交流の場所をテーマにした複合施設。現在ステーション内食堂として、炉端机やBBQグリルで肉や魚を焼いて食べられるお店「焼け屋」、店外でテイクアウトや軽食を中心とした「寄れ屋」を建設中です。店内ではコーヒー、アルコールの提供や、地元野菜の販売なども行っており、奥多摩の自然の中でゆったりとした時間を過ごすことができる施設となっています。
阿部:実際にお店を5月から運営、これから実際にお店を続けていくにあたって「これなら上手くやっていけそう!」という道は見えてきましたか?
戸田:やっていけると思います。変な自信持ってでかいこと言っていますが(笑)施設のオーナーはじめ、町の皆さんのお力添えもあるので。きちんと形にしていけばやっていけるんじゃないかなと思います。
それはやはり、父親のことを契機に、地域の人とのコミュニティができたことが大きいようです。
戸田:考えてみれば、今自分が置かれている状況であったり、出会いであったり、今こうやってお話させて頂いているということも含めて全てが、その父親の出来事から始まった。そういう意味では父親にはすごいお世話になってて、良くしてもらっている。だから、この「奥多摩アウトドアステーション」も、質問の答えとしてはやれると思います。
阿部:ありがとうございます。そんな話が現実にあるんだって、正直、びっくりしました…
阿部:戸田さんは、奥多摩で生まれ育って、Uターンしてきている。それで、お父さんの件もあって。そういった意味では、同じ町だけれど、違う感覚なんじゃないですか?
戸田:父親が持っていたコミュニティを一部引き継いだという感覚に近い。本当に、こんな道通ることあるんだという感じはあります。
阿部:「自分が居場所になる」とお話されてますが、幼少期の頃から、結構居場所というものに思い入れがあったというか、欲していたみたいなのはあるんでしょうか?
戸田:単に居場所がなかったですね。なんていうんだろう、僕の家の周辺は奥多摩の中でも人口が少なく、ほとんど顔見知り。父親と母親はその中で離婚しているから、みんな俺に関わりづらかったのかもという気はしています。人口が少ないから同年代もいないし。だから、ずっと1人で遊んでいた。母親も自分を1人で育てないといけないから、昼間もずっと1人。学校と家が離れているから、学校から帰ったらもう1人で何かするしかないみたいな。必然的に世間知らずで常識も無く、人と仲良くやれなくて。簡単に言うと、すごい問題児だった。
幼少期の頃から、時には周りからの風当たりが強いなか生きてきた戸田さん。お父さんがきっかけで繋がったコミュニティの中で「こんなに人に良くしてもらったことない」と思ったそう。それが今、戸田さんの「居場所となる」原動力となっています。
戸田:コミュニティさえあれば貧乏でも、楽しいんです。お金があっても話す人がいないんだったら、多分それは、不安はだいぶ軽くなるけどいつか限界はくると思うんです。だからコミュニティをつくりたい。自分にもう家族はいないし。
幸せの呪文「これでいいのだ」
戸田:実は完璧な言葉、幸せの呪文みたいなものがある。
阿部:聞いちゃっていいんですか?(笑)
戸田:なにそれ?って思うかもしれないんですけど。バカボンパパの「これでいいのだ」ってあるじゃないですか。これがそのまま幸せの呪文で、完璧なんです。これを崩せたら教えて欲しい。「これでいいのだ」で解決できない問題があったら教えて欲しいくらい。
戸田:結構何年も考えていたんですけど、まだ論破できていなくて。
阿部:わかる気がしてきました。私も、人生勘違いでできていると思っていて。
戸田:我思う、故に我ありって。世界は認識した事柄のみでできている。実際に何もかもが、自分がそう認識していることでしかない。それ以外は何もないんですよっていう話になったときに「これでいいのだ」の話をもう少し解説させてもらうんだけど。
阿部:お願いします!
戸田:これでいいのだっていうのは、ある意味全てこれでオッケーなんですよ。そして、この考えを進めていって思ったのが【今目の前で起こっていることにどんな感情を持っていようが、これはこれが完璧なんだ】ということ。
戸田:そうなった時に「自分フル肯定」みたいな。間違ってていいというかそういう次元の話じゃなくて、これが完璧。間違ってる間違っていないっていうのは、誰かのものさしにすぎないから。自分自身が完璧だって認識をする、もうこれで幸せじゃないことありますか?
阿部:確かに。
戸田:俺、家族がもう死んでる。母親が死んで、ばあちゃんが死んで、父親が死んだ。その他のこと含め生きてると色んな不幸があって、それを自分なりに受け止める時、良い気分で受け止めるか、そうじゃないか。極論その二択しかない。人生って実はこれだけなんだと思うんです。あとは他人が自分をどう評価するだけで、それは最悪どうだっていい。
阿部:今、もう完全に戸田ワールドに引き込まれちゃいました。ビューンって飛んで行ってしまいました、完全に。
戸田:結構、最近アップデートも多くて。「これでいいのだ」論自体は前からあったけど、これが完璧だっていうフル自己肯定。前はどっか、負け惜しみというか、捨て台詞的な所もあったかなと思うんですよ。「そういうことにしておこう」的な。
阿部:ちょっとネガティブな「これでいいのだ」ですよね。もういいや、みたいな。
戸田:「こんなんじゃ駄目だ」って思うから苦しむでしょ?
阿部:葛藤しちゃうんですよね。その意味ではとても苦しんでしまう。
戸田:うん。でもそれもそれで完璧。
阿部:そうか、苦しむのもそれでいいのか。面白い!戸田さん、こういうことを考えるのが好きなんですか?
戸田:暇なんですよ(笑)家族もいないし。
戸田:楽しい暮らしって、誰かにとっての楽しい暮らしじゃない。シンプルにこれでいいのだって思っている人間が集まっていると、皆普通に生きてるだけで、結果的に楽しい暮らしになっていると思う。
阿部:「これでいいのだ」、魔法の言葉ですね。なんだかすごく腑に落ちて、面白かったです。
音楽一筋だった20歳の頃
阿部:最後に、この「呼吸の時間ですよ」では、皆さんが20歳の頃に何をしていたか聞いていて。
戸田:20歳の頃ですか?
阿部:若い人たちにも読んで欲しいなと思っているんです。私みたいに、まだどんな生き方をしたらいいか迷っている皆さんに届けたい。
戸田:20歳の頃は、音楽一筋だった。ひたすら音楽に打ち込んでいたというか。これ、成人式の写真です(笑)
阿部:わ!めちゃくちゃ悪いじゃないですか!!
戸田:思い出したんですけど、俺、高校を5年行って、だから20歳の時は高校生かも…多摩高校の定時制で奥多摩分校に通っていました。でも授業はずっと寝ていました。生徒、俺しかいないのに(笑)
阿部:え、1人しかいなかったんですか!
戸田:ですね。先生が言ってました。「戸田、あれだぞ。お前ひとりに税金1000万円かかってんだぞ」って。返さないとですよね。そういう意味では。
阿部:まさにこれから、返していく時ですね。戸田さん、ありがとうございました!
戸田さんにインタビュー後、家に帰ってからも頭にリピート再生される言葉の数々に、何度も深く思考を巡らせました。今、この状態を肯定すること。「これでいいのだ」という幸せの呪文を忘れずにいたいです。奥多摩アウトドアステーションやっちゃえ(仮)の名前の通り、勢い良く始まった戸田さんという居場所。これから、どのように展開されていくのかを楽しみに、これからも奥多摩というディープな町に足を運びたいと強く思います。(ライター・阿部 真弥)
TEXT:maya Photo 木田正人