檜原村の生活は自然と密接。玄関開けるとアウトドア。
青木:風がここ、気持ちいいですね。
木田:そうですね。
青木:こういうのも、ここで仕事できる特権というか、こういうところに暮らしてるから、簡単に味わえるのかなと。うん、うん。
木田:ちなみに檜原に暮らして何年ですか?
青木:暮らしたのは、チェンソーズの創業とほぼ一緒。少し前のゴールデンウィークごろに引っ越したので、16年。
木田:檜原で働き始めたのは、もう少し前ですよね。
青木:そうですね。檜原の森林組合に入って、最初は宿舎に入って、その後、秋川に移って、渕上の交差点の近くに住んでたんですよね、平屋の。集合住宅みたいな。で、そのあと、2年ぐらい西日暮里から通ってたのかな。
木田:その後、檜原へ?
青木:そうです。
木田:檜原村での生活はどんな感じですか?
青木:生活と自然が密接ですね。
木田:密接…
青木:玄関開けるとアウトドア(笑)
木田:なるほど。
青木:山仕事やってるので、近所付き合いはしやすかったですね。
木田:そうかもしれないですね。檜原はたいていの人が何かしら山に関わってましたから。
青木:そうなんです。山仕事やってると言うと安心してもらえる。それに、始めのころは畑やったりもしてたんですよ。
木田:何、作ってたんですか?
青木:なんだったかな〜(笑)村ではみんな畑やってるんで、畑やってると共通の話題ができるんですよ。話のとっかかりに、まずは畑(笑)
平日の昼間、晴れてる日に家にいるのが苦手
木田:そういうの大事ですよね。ところで、村の暮らし、リラックスできますか?
青木:う〜ん。できたり、できなかったり。
木田:できないこともあるんですか?
青木:平日の昼間、しかも晴れてる日に家にいるのが苦手です。
木田:分かる気がします。
青木:山仕事やってるせいか、なんか違和感あるんですよね。晴れてるのに家にいるのが。雨なら平気なんですが。
木田:ですよね。
青木:周りの人に「こんな天気の日に仕事もしないで」って見られてるような気がして。
木田:たしかに。コソコソしちゃう。
青木:ありますよね。苦手です。カミさんには考えすぎって言われるんですけど。
木田:逆にリラックスできることは?
青木:飲み会。昔の檜原の話を聞いたりするの好きですよ。
生まれは大阪。大阪で自然と出会う。
木田:う〜ん。ところで、生まれは大阪ですよね。
青木:はい。
木田:そのころの自然との出会いというか、付き合い方みたいなのは…
青木:大阪の此花区で生まれてるんですけど、ほんと街中だったんですよ。
木田:はい…
青木:ただ、子どものころから結構、悪くいうと落ち着きがなかったみたいで。近くの公園で友達と遊んでたのに、自転車に乗れるようになると、勝手に隣町まで行っちゃったり。で、そっちの方に住んでる知り合いから電話がかかってきて「こっちまで来てるよ」というようなことを言われるような子でした(笑)
木田:なるほど。
青木:若干変わってたというか、幼稚園でも、集合写真で1人だけ帽子をかぶってないとか…
木田:はい。
青木:なんかちょっと落ち着きがない子どもだったみたいですね。
木田:そうなんですか…
青木:友達と外で遊ぶのが好きだったんですが、とはいえ、自然はそんなになくて。会社の社宅に住んでたんですけど、社宅って昔、各階からゴミを捨てる、なんて言うんでしたっけ。
木田:あ〜、ありますね…
青木:そう、投入口があって、一番下に開けるところがあって、たしかその当時はもう使われてなかったんですけど、秘密基地みたいにして、捕まえたヘビを飼ったり。
木田:ヘビを飼ったり。
青木:捕まえたものをそこに隠したり、拾った宝物みたいなものをしまったり。普段そこは、人が出入りしないところだったので、そういったところで遊んでました。
木田:なるほど。
青木:あとは、川遊びもしてました。川遊びといっても、こっちの川とは違って、用水路みたいな、要はコンクリの擁壁の中の川みたいな。当時はまだ汚くて、それこそ洗剤の泡が浮いてるような川で、フナとか、ナマズとか、かろうじているみたいな、そういう川で遊んでました。網を持って行って、藻の中をぐちゃぐちゃってやるといろんなものが取れるんです。それを虫かごの水槽に入れて持って帰って飼ったり。そんなことやってました。
木田:友達も一緒にですか?
青木:そうですね。一緒でしたね。あとは、当時、田んぼに穴があって、穴に手を突っ込むとザリガニがいて。
木田:おお。
青木:そこにスルメイカを糸につけてやると、ザリガニが釣れたんですよ。
木田:う〜ん。
青木:田んぼの穴でザリガニ釣ったり、あと、カブトガニっていうんでしたっけ?
木田:カブトガニは、たしか“生きた化石”…
青木:いや、カブトエビだったかな…。田んぼ…(検索する)こういうやつです(検索結果を見せる)。こういうのがいっぱいいたんです。でもこれ、どっちなんだろう。
木田:分からないですね。後で調べます。
青木:はい。こういう遊びが好きでしたね。そういうことばっかり、子どもの頃はしてた気がします。
木田:その辺りは田んぼとかあるところだったんですか?
青木:そうです。街中とはいえ、田んぼがあったり、池があったり…たぶん、小学校前後だから、昭和50年代半ばから後半ですね。当時はそんな感じでした。
木田:う〜ん。
青木:そんなことやってて、夏休みになると、毎年じゃなかったと思いますけど、母親の実家が岩手の久慈市というところだったんで、そこに、3〜4週間くらい行って向こうで過ごしたんですよ。
〈つづきます〉
TEXT:木田 正人 PHOTO:木田 正人