木に触れ、ものづくりをすることで幸福感、豊かさを感じた
森林・里山の新たな価値を作り届けるブランド「Phnom Toi(プノントイ)」の代表、吉成絵里香さん。 学生団体の立ち上げ、青年海外協力隊での活動を経て、現在に至るまで国内外の環境問題をその目で見てアクションを起こしてきました。 その原動力はどこから湧いてきたのかーーー 吉成さんのライフヒストリーを軸に、その熱い想いをお届けします。
山小屋で偶然手に取った1冊の本が、自然生態系の学びの入り口に
阿部:まずは、幼少期のことから教えていただけますか?
吉成:はい。祖父が山登りが好きで、家族でよく山に連れて行ってもらっていたんですが、私は登山中に自然の写真を撮るのが好きでした。
阿部:写真がお好きだったんですか?
吉成:小さい頃にポケモンの写真を撮るのテレビゲームがあって、写真を撮ることが楽しいなと夢中になっていたんです(笑)それで登山に行くようになってからは、山の自然の風景を撮るようになってました。
阿部:それが自然との関わりの始まりですね?
吉成:そうですね。そこから始まって、小学校5年生の時に富士山の植生をテーマに、実際に富士山で植物や樹木の写真を撮ったり、本や博物館で調べ物をしたりしながら、自由研究をしていました。
阿部:どんどん、興味や関心が広がっていった感じですね。
吉成:はい。山で見かける植物や樹木への興味から、温暖化や砂漠化など地球の環境問題にも関心が広がっていきました。
阿部:そうなんですね。
吉成:その後、高校2年生の時に、北アルプスの山小屋で、野生動物が農作物を荒らすなどの問題が書かれていた本をたまたま手に取り、読みました。それを機に野生動物と人間が共存する難しさに関心を持ったんです。自然生態系について知りたい、学んでみたいと思い、大学は「森林」や「野生動物」というキーワードで探しました。
二十歳、屋久島でのボランティア経験。ここからギアを上げる!
吉成:北海道の大学に進学し、大学2年生からは農学部森林科学科に分属が決まりました。分属が決まると野生動物に関わる研究室を訪ね、先輩の研究のフィールド調査を手伝いに行くなど、学ばせていただいていました。そんな中、実際に生き物の保全活動にも関わってみたいと思い、夏休みに屋久島のウミガメ保護のボランティアに行きました。
本当は最初、海外に行きたいと思っていて、メキシコでウミガメ保護のボランティアを見つけて申し込んでいたんです。でもそれが現地集合だったので断念…(笑)
阿部:それは中々厳しいですね(笑)
吉成:知らないメキシコの現地にたどり着ける自信がなくて、結局キャンセルしてしまったんです。大学に入って初めてアルバイトで貯めたお金は、ボランティアのキャンセル料金に消えていきました。それで、日本で同様の活動ができる場所はないかと探し、屋久島でのボランティアを見つけました。「屋久島なら1人で行ける」と思って。旅立った日はちょうど20歳の誕生日を迎えた日でした。
阿部:ちょうど20歳!
吉成:はい。そこで、ウミガメが生まれる瞬間など、自然の神秘を目の当たりにしたんです。それまではほぼ毎日のようにダンスの部活に励んでいて、折角野生動物のことを学びたくて大学に入ったは良いものの、あまりそこに時間を割けていませんでした。本当にこのままの過ごし方で良いのかと迷っていた時期だったのですが、屋久島で自然の神秘に触れ、「自分がやりたいことは環境保全の活動だ」と確信しました。それで、屋久島からの帰りに「部活を辞める」と部長に連絡をしました(笑)
阿部:おお!(笑)
吉成:そのあと、自分でも環境保全の活動をやりたいと思って、すぐに学科で仲間を集めてボランティア団体を立ち上げ、活動を始めました。
阿部:すごい行動力ですね。
環境教育との出会い
吉成:北海道には環境系のNPOさんが多く、NPO活動運営のお手伝いというかたちでボランティアをスタートしました。そして、その中で環境教育に出会うんです。
阿部:環境教育ですか?
吉成:はい。Project WILDという、「自然や環境のために行動できる人」を育成することを目的とした、野生動物を題材にした環境教育プログラムに出会いました。それから、自分たちで学生向けの環境教育講習会を開催したり、大学構内や市の施設で子ども向けのイベントを開催したりするなど、活動を広げていきました。大学では、昆虫や魚、鳥などいろいろな生き物のスペシャリストがいる中で、自分の強みは何だろうと考えたとき、おそらくそれは環境分野での教育活動やリーダー育成など、社会へのアプローチを広げることなんじゃないかと思い、そちらへ方向を定めました。
何もないところから自分の役割を見つけて、活動を立ち上げていく
その後、国内だけでなく国外にも興味の範囲を広げ、ケニアやマレーシアを訪れた吉成さん。
アブラヤシのプランテーションによる熱帯雨林の減少、それにともない野生動物が絶滅の危機に瀕しているという事実…アブラヤシは日本のあらゆる食品、化粧品などに使われていることから、「この問題は開発途上国だけの問題ではなく、日本も大きく関係している」ことに衝撃を受けました。
吉成:開発途上国の問題に対して、日本人である自分ができることがしたい。その思いで、大学を卒業して就職でも進学でもなく、青年海外協力隊に行くという道を選び、カンボジアに2年間行くことになりました。
阿部:カンボジアに行くことに葛藤はありました?
吉成:他にも色々な進路の選択肢があったので迷いましたが、大学のクラスメイトが私に薦めてくれた、青年海外協力隊のことがずっと頭の片隅にあって。
阿部:迷ったのはどんなところですか?
吉成:海外の大学院に行く準備をしていたんですが、国内外でのボランティア活動を通して【大学で学ぶ理論的なことと、現場で直面する課題のギャップ】を感じて迷っていたんです。
阿部:「これだ」となった決め手は何だったんでしょう?
吉成:海外の大学院の奨学金が決まりそうになり、決断をしないといけないタイミングで、大学院で研究を深めるよりも、現場の組織や地域社会に入って活動する中で、自分の役割を見つけていきたいと考えたんです。そして、開発途上国で環境保全に関われて、新卒の自分でもできる最善の選択肢が、青年海外協力隊でした。
阿部:カンボジアではどういう活動をしていたんですか?
吉成:当時は現地でのゴミ収集のシステムが確立しておらず、街中にゴミが落ちていて問題になっていました。カンボジア観光省の都市美化評価委員会に所属し、「町を綺麗にしていこう」という啓発の活動を学校で行ったり、環境教育の現地教材を作って実践したり、ゴミ拾いのイベントを企画したり、そういったことを現地のスタッフと一緒に2年間やっていました。
阿部:振り返ると、カンボジアでの2年間は人生の中でどういう立ち位置だったんでしょう?
吉成:現地の組織で信頼関係を築いて仲間を見つけ、かつ他の隊員さんや日系企業さんなど協力者を増やしながら活動を企画・実行をしていました。その中で「何もないところから自分の役割を見つけて、課題解決のための活動を立ち上げていく」というところは、今の事業にも繋がっています。根本的にアプローチが似ているなと思います。
吉成さんは、青年海外協力隊の活動後、自治体や国に対して環境に関する政策提言をするシンクタンクに就職。
会社の業務やプライベートの活動を通じて、農林業や里山に関わる方々との交流を深め、森林・里山を活かすことをミッションに起業することを決意し、4年後に退職。「Phnom Toi(プノントイ)」を設立することとなります。
木に触れ、ものづくりをする中で得る幸福感や豊かさ
阿部:今の里山に関する事業につながるきっかけは何だったんですか?
吉成:海外での経験を通して、日本の自然の良さに気づいたんです。カンボジアでは、山が国境となることが多く、内戦や紛争の現場となっていました。山にはまだ地雷があって、人が安全に入れない場所もあるんです。一方、日本は島国で長い間平和が保たれており、人と自然が近い距離のまま歴史を辿っているという、他のアジアの国とは違う特殊さがあるんです。その中で育まれた日本の文化や伝統というのはすごく美しいものだなあと感じ、改めて日本の里山的な自然について知りたいと思うようになりました。
阿部:カンボジアに行ったからこそ生まれた視点ですね。
吉成:(シンクタンクの)仕事終わりに「里山講座」という講座で座学を受けたり、週末には里山でのフィールドワークに参加したりする中で、里山を維持・管理していくことが大きな関心事になっていきました。それで会社を独立する、しないは置いておいて、何か森林や里山に関する事業をやりたいなと思うようになりました。
阿部:今の事業の柱である「ものづくり」の事業はどのように生まれたのでしょう?
吉成:きっかけは、自分がものづくりを実際にやってみたことでした。自宅から一番近い里山で、森林整備や農業、木工活動をしているNPOさんを見つけて毎週通うようになったんです。長年環境の問題に取り組んできたけれど、木に触れ合って何か物をかたちづくることで得る幸福感や豊かさみたいなのをすごく感じ、自分自身が「これはやり続けられるものだな」と思いました。それで、ものづくりから事業を広げてみようと決めたんです。
阿部:単純に「つくる」ということは楽しかったですか?
吉成:楽しかったです。ウッドターニングという木を旋回させながらお皿などの形を作っていく手法があるのですが、自分の体の動きや刃物の当て方、動かし方一つで弧のかたちや質感などが変わっていくので、なんだか自然と一体化するような感じがしました。そこで得る感覚は、それまでパソコン作業でレポートを作っていたのとは全く違うものでした。
吉成:シンクタンクの仕事で、自然の価値を定量化・見える化することがあります。森林の水源涵養機能は何億円、森林によるCO2吸収効果は何トンになるなどです。それは政策決定上もちろん大切ではあるんですけど、一般の人にとってはなかなか伝わりづらいなと感じていました。環境への関心が高い・低いに関係なく、単純に「これが好き」とか「可愛いなあ」とか、感覚的なもので親しみを持てるというのは、実は環境教育のアプローチとしても可能性があるなと思いました。
阿部:確かに。私は木材の個性豊かな色が好きで、こうして並んでいると「ホオノキの色、やっぱりいいなあ」って思います(笑)
阿部:今は東京で活動されていますが、今後、事業をどういう風に広げていきたいと考えているんでしょう?
吉成:ものづくりのブランドは、日本の市場だけではなくて海外にも市場を広げていきたいと思い、昨年はニューヨークにも出展しました。そしてもう一つ。自分がお世話になったカンボジアで、現地の自然資源を活かしたプロダクトをつくることで、現地の自然環境や地域社会の持続可能性に貢献していきたいと考えています。まだまだ農村部では貧困の問題もあるカンボジアという国に恩返しという意味も込めて、現地に拠点をつくりたいと思っています。
阿部:他にも、色々な事業をされていますよね。
吉成:日本の企業さんに、森林の保全・活用に携わってもらいたいという思いで、法人向けの環境経営支援サービスというものを立ち上げています。
阿部:どの事業も、今後がとても楽しみです。
吉成:何が事業として環境・社会に持続的に貢献し発展するものとなるか、試行錯誤の段階ではあるんですけど、色々な種まきをしつつ、沢山の人の協力を得ながらやっています。
プノントイは小さな山。身近な自然に目を向けてみては
阿部:ちなみに、小さい頃から今に至るまで、多種多様な自然と関わってきたと思うのですが、吉成さんにとって自然はどのような存在ですか?
吉成:自分が住んでいる場所や、普段よく行く場所にある身近な自然にこそ、もっと目を向けられて欲しいなという思いがあります。そのような街中の自然が生物多様性の観点から重要というのもありますが、それだけではなく、暮らしの中で身近な自然に少しでも目を向けることが、その人の健やかな暮らしや、自分らしい在り方をみつめることにつながる。そうあってほしいなと思います。
吉成:プノントイは「小さな山」を意味するんですけれど、それもやっぱり自然が身近なものになってほしいという願いを込めて、愛でる小さな自然というか、自分の傍にある自然という意味合いも込めて名付けています。
吉成さんの、起業への想いはこちらから
屋久島がきっかけとなり、カンボジアでの経験、起業に至るまで、想いを一気に行動へと変えてきた吉成さん。不安はなかったのかと尋ねると「勇気を持って一歩を踏み出すと世界が開ける。何か失敗する怖さよりも、世界が広がる楽しさの方が、圧倒的に勝っていました。」と楽しそうに語る姿が印象的でした。
きっと周りの人たちも、応援したいという気持ちでいっぱいだったのではないかなと思います。踏み出すことは、少し勇気がいるけれど、好奇心や熱い想いはきっと周りの人に伝染していくのだと思います。
私自身、農業高校で学んでいた時に野生動物からの農作物被害、野生動物と人間との共生について関心を持っていたことや、環境教育の活動など、吉成さんとの共通点も多く、話していると、なんだかとてもワクワクする自分がいました。
「協力隊に行くときも就活の時も、周りの人たちの助けや応援があったから、今自分がやりたいことを見つけて、人生のミッションに繋がる道に行けたのかなと思います。臆せずに、信頼できる友人や先輩、恩師、同窓生などいろんな人に相談したり、自分がやりたいことをすでに挑戦している人に話を聴きに行ったりするといいですよ」
ーーー吉成さんのこの言葉、これは私へのアドバイスとして、しっかりいただきました。
私も臆せず一歩を踏み出したいと思います。
今後も、日本の里山の価値を創出し続ける吉成さんとプノントイから目が離せません。
TEXT:maya Photo director : morinobi LLC. Yuko Kawano Photographer: Yuta Togo